ふじめ

ふじめブログ

ほんとうのおやすみ

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今日は久しぶりに、何にもしない一日だった。

こたつの番人。

でもこういう日も必要だと思うし、これが本当の休みなのでは。

丸山真男かな?何かで読んだのだけど、現代人は休むといったらドライブしたり、スキーしたり、普段とは違うことを“する”ことを休みだと思っている。

でもそれって、本当の休みなのかって。

お休みって、なんにもしないことをすることだって。

これを読んだとき、なんかほっとしたのを覚えてる。

SNSをみれば、休みのたびにおでかけしてる子がいっぱい。

休みの日なんて、おそ〜く起きて朝ご飯か昼ご飯かわかんないごはん食べるのが時々ないとだめ。

だから自分の生活が充実してないみたいで、焦ってた時期もあった。

でも、本当のお休みの考え方を知ってから「これでいいのか〜」って思えてうれしかったのよね、すごい小さいことだけどね!

自分に合うライフスタイルを考える上で、大事なこと。

おやすみについて、みなさまも考えてみては。

 

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バランスはアンバランスを知らなければ分かり得ない

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尊敬するヨガの先生が言っていたコトバ。

コトバに今日はとても励まされた。

 

"バランスはアンバランスを知らなければ分かり得ない。"

 

バランスという目標を達成するには、アンバランスという転びや失敗を知る必要があるということ。

アンバランスを通過しなくては、バランスにはたどり着けない。

今まで、失敗しないように、転ばないようにしてバランスを知ったかぶっていた。

でもね、本当のバランスを私は知らなかったんだなって気づいた。

アンバランスがあるからバランスがある、相対主義ね。

アンバランスをあえて知ってみようと思った今日いちにち。

 

でもコトバを信じて、さまざまなヨガポーズに挑戦したら転びまくりのアンバランスで恥ずかしかったなあ(笑)

きっと今はそれで良いのよね、アンバランス。

 

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すばらしいともだち

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このふしめを迎えるにあたって、振り返ってみた。

ぱっと浮かんだのは変化。私の価値観、生き方を変える一年だった。

変えてくれたのは言うまでもない、すばらしいともだちたち。

ともだちは、心のままに、感じるままに、道を選んでいた、それも当たり前のように。“忙しい”、“めんどくさい”、“今はむり”、“自信ない”なんて言葉はともだちにはなかった。

好きだからやるんだ、って。何も言わずにすすむともだち。

ともだちにわたしは憧れて、影響された。

“これやりたい!”、“こうなりたい!”ってずっと言い続けてるのは、好きじゃない。やればいいじゃないか、って思う。

当たり前のように、自分の好きなことを知っていて、当たり前のように、それに進んでいける人がわたしはとても好き。

そんなともだちに出会えた、ありがとうソフォモア。

さ、ジュニア!

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野良犬の目線、東松照明

写真家の東松照明

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(東松照明『太陽の鉛筆』より)

 

毎日が家と目的地の往復。視線の焦点と焦点が直線に結ばれる、同じ。

だから彼は野良犬の目線になることにした、旅に出た。目的地のない野良犬は、みるものが違う。焦点と焦点は直線じゃない。みえないものがみえる。

野良犬の目線で、写真を撮った。

 

自分のレールから外れるってすごい勇気だと思う、めちゃくちゃこわい。

規則正しく毎日を過ごすこと、それが良いとされているけどどうなのだろう。

一部の誰かにとって都合が良くて、私たちが合わせてるだけなのかもしれない。

疑う目と野良犬になる勇気がほしい。

 

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苦手を楽しも

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デートはどこか苦手。

話す一語一句、しぐさ、目線とか色々気にしてしまう。

今ムッとした?嫌だって思われた?とか結構考えてしまう。

気疲れしちゃうんだよね。

あとどこか気まずさがある。

どこまで話していいものか、好きなのか、このデートなんなんだ、とか。

 

でもそういう諸々を考えている時点で、すでに相手を意識しまくりの自分がいる、ってことで。

好きだからこそ、疲れてしまうのだろうな。

でも醍醐味でもあるのかもしれない。

たとえば、

トマト好きなんだ!

笑いのツボ変(笑)

意外と真面目!

とかね。知れたら嬉しい。

好きな人に関わらず、人を知っていくのはすごく面白いこと。

 

細かいことを気にしない人になれたらきっと人生楽。

けれど、些細なことも醍醐味だ〜って思えたら人生100倍くらい楽しめるはず!

 

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虚構を書く。

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ブログを始めて2週間ほど。

感じたことを書いてきたものの、ほんっと言葉って無力だなと思う。

いつもブログを書いて、添削するために何度も読む。

最終的に言葉がほとんどなくなる。

削って削って削る。

伝えやすく、伝えやすくしようとすればするほど、言葉じゃ伝わらないということに気づいてしまう。

この感じ。

誰かが言ってたけれど、言葉のすべてが虚構。

本当にそうだと思う、言葉にしてしまった時点でそれはもうフィクション。

 

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アイデンティティの探し方

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写真展とか美術館に行くことは自分探しである、らしい。

たとえば、ゴッホのひまわりをみてみる。

おばあちゃん家のひまわりや、ゴッホ好きな美術の先生を思い出したり、きいろは明るくって好きって感じたり、することで自分がどんな人間であるか少しでも分かるからだそう。

ひまわりを見るためにおばあちゃんの家に何度も通ってた子供のころ、仲が良かったひげの美術の先生がいた中学生活、明るいきいろが好きな自分。

すべてがわたしのアイデンティティー。

思って感じて、自分がどんな形をしてるのか知ろうとする行為。

だから、人は何かを見たがって知りたがるらしい。

それは対象の面白さを見いだすためではなくて、自分の思いや感じを得て、自分を探すため。無意識的なもの。

だから、自分が何が好きだとか、どう思ったとかは、絶対に絶対に大切にとっておいたほうが良いと思う。押し殺してはいけない。

いつか必ず、自分の助けになると思うから。

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