間接性の美学
日本人の美意識のポイントといえば、やはり間接性だと思う。例えば、夏目漱石は"I love you."を「我君を愛す。」ではなく、「月が綺麗ですね。」に訳す。茶道のお茶の席では、季節に合わせて全く異なる花が生けられていたり、和菓子が出てくる。
どれも、間接的でしょ。
夏目漱石だったら「美しい月」を介して愛を伝えるし、茶道だったら「花や和菓子」を介して季節の移り変わりを告げる。
何かを介する間接性に、日本の美はあるのではないかしら。
少なくとも、私は間接性に美をものすごく感じるわ。
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食と服
無難か個性か
今日は自分がカフェを出すなら、どんなごはんを出そうか考えてみた。
私は結構エスニックなものが好きだから、エスニック系がいいかな?でもエスニックって万人ウケしないから、儲からない?万人ウケする味付けがいいのかしら。
とか考えてたら、これって服のスタイルにも当てはまる!って思った。
服にも万人ウケする無難なものと個性を光らせるものがある。
万人ウケスタイルは超イイねも超悪いねともならない、無難。個性輝かすと、悪いねって人も増えるけど、少数の濃い〜イイねはもらえるよね。
一見万人ウケスタイルにみえるけど、なんかオシャレでイイ感じを目指したいわ。
ながれる、まもる。
あたりまえだけど、時間は流れる。
私は、サークルに所属している。サークルってそれ自体はずっと存在し続ける。けれど、その内容、つまりメンバーは変わる、どんどんと。まるで、川自体は変わらず存在するけど、流れる水は常に変わり続けているみたいに。
私たち、所属しているメンバーはそれを守り続ける必要がある。
川が川であるには、常に水が必要だということ。
私たちは水を大切にしなきゃいけない。なんか環境保護主義者みたいだけど(笑)
でも本当にサークルに限らず、学校とか、国とか地球とか大きな規模で考えても一緒だと思う。
ここにいるが故の責任みたいな。
なんか今日はエモーショナルだわ。
自分がここにいる今、大切に守っていきたいと思える一日だった。
ありがとう、ふたり。
これからの雑誌のこと
雑誌を読むのが好き。隅っこの方で謙虚に読まれるのを待つ文字たちは、実はすごいパワーを持っているし、いろんなものを私は感じとれる。こんなところにこんなものが!感を味わえる雑誌はとても好き。
インターネットの普及で、出版業界が低迷しているのはよく言われていることで、雑誌もそう。
でも雑誌の可能性はまだまだ終わらないと思う。
インターネットの良いところは、情報を自ら選択できるところ。必要な情報を、必要な分だけ得る。しかも、無料で。
でもインターネットの情報って膨大すぎるし、間違ったものも多い。
一方で、雑誌は確かにお金はかかるし、情報は制限される。
けれど、好みの雑誌を選ぶだけである程度、自分が欲しい情報それも信用できるものが得られる。その情報はまとめられているし、実はインターネットより便利なのではないかって思う。
一つの選択で、ある程度のまとめられた情報が得られる。
こっちの方が私は良いと思うな。
そもそも、紙の方が好きってのもあるけれど。
雑誌を読みたいって人はまだまだいるのよ!
ジョルジュ・サンドを知ってるか
ジョルジュ・サンドはナポレオンが帝政を始めた1800年代のフランスの女性文学者。
彼女は当時のフランスでは考えられない、革新的ファッションをしていたそう。
ちなみに、当時の服と言えば、
こんな感じ。(『ラ・モード』誌より)
女性らしさが重要だったから、ウエストはキュッと胸はボンッとなっていることが理想だったみたい。女性服を着る人なら分かると思うけど、こういうスタイルって締め付けられて苦しいし、長時間着てられないのよね。
当時のフランス人はこれが毎日だった。でも、サンドはこのスタイルが気に入らなかった。彼女は、美術館、劇場、文学や政治の社交場とか、外に出かけることが大好きな人だったみたい。でも外出するとなると、どうしても不便なスタイル。そこで彼女はオーダーメイドで男性服を自分サイズで仕立ててもらって、それを普段着にした。そして、行動範囲が広がった。
ファッションの意味って大きいなって思った。ファッションは見た目だけじゃなくて、ライフスタイルまで変えてしまうんだよね。
サンドは自分の理想のライフスタイルの為に、周りが揶揄するのも気にせず自分を貫いた女性。
ジョルジュ・サンド、かっこいいわ。
『舞台』西加奈子
「太宰治『人間失格』を愛する29歳の葉太。初めての海外、ガイドブックを丸暗記してニューヨーク旅行に臨むが、初日の盗難で無一文になる。間抜けと哀れまれることに耐えられずあくまで平然と振る舞おうとしたことで、旅は一日4ドルの極限生活にー。命がけで「自分」を獲得してゆく青年の格闘が胸を打つ傑作長編。」 『舞台』背面より
今読んでいる本、『舞台』。これはもう過去の自分を見てるかのよう!重なる部分が多い。
ページ86にはこんなことが書かれている。
もちものすべてを盗まれた葉太は…「俺が何をしたっていうんだ。シープ・メドウはどうしても来たかった場所だったんだ。ほんのささやかな夢をかなえるためにここに来て、やっと来て、そして、少しばかりはしゃいだからといって、この仕打ちはひどすぎる。俺のことが嫌いなのか。そうだろう。お前は、俺のことが嫌いなんだ!葉太は、憎んだ。大いなる力を、過去なかったほどに、憎んだ。」
分かる。なにか小さくとも、大きくとも、ネガティブなことが起こると何か見えないもののせいにする。ユーミンの♪やさしさに包まれたならで言えば、「小さい頃は神様がいて〜」の神様みたいな存在。
はしゃぐとバチが当たるのも、神様的な何かが為すこと。
きっと本当は、何のせいでもないことで自分が悪かったりすることが多いのよね。
でも、たぶん何かのせいにしないと人間生きていけないと思う。一分一秒起こることがすべて、自分のせいなんて思ってたら、気病む。
その意味で、大いなる力とか、見えない何かの存在って良い理由づけだし、使い勝手がいい。
きっと生きる為の必須アイテムなんだ、大いなる力。
「目に映るすべてのことは〜メッセージ〜」ってこと。
よしユーミン聴こう。
シュウマイ娘になりたくて
そのユニホームに一目惚れ。
チャイニーズものはいつだってキュンッとくる。崎陽軒シュウマイ娘のユニホームは、平成20年にリニューアルされたらしい。歴代のものはシュウマイ工場の入り口にあるそうだけど、ナニコレゼンブモッテカエリタイヨ〜!
大人もわくわく! プレミアムを感じる工場見学&直売店|特集 | リビング田園都市Web
ごはんも、スタイルも、チャイニーズ・愛!